fjord boot campの個人開発でmonalinというアプリを作ることに決め、それから4ヶ月ほど毎日開発を進めてきた。
表情を動画で撮影し、自己表現についてAIカウンセラーとチャットを行えるというコンセプトのアプリだ。
以前、不意に撮影された自分のスピーチ姿にショックを受け、その後自宅でスピーチの動画を撮って、切り抜きをclaude送り、どうやったら改善するかチャットで相談を続ける中で、気付きを得ることができた体験を元にしたものだった。同じ体験をアプリで手軽に再現できれば人の役に立つと思っていた。
しかし、先日初めて報告会でデモを行ってから考えが変わった。アプリでは、開発前に提出してOKをもらったエレベーターピッチとほぼほぼ同じUI/UXを再現したつもりだったので、よい評価を受けられると期待していたのだが、結果はそうはならなかった。
今振り返ってみて、人の、ましてやプロのフィードバックはありがたく受け入れよと思うが、内容がアプリの根本の価値を問うものでもあったため大きなショックだった。あくまで決めたコンセプトにこだわりたいと伝え、「ここから良くなっていきます!」と鼻息荒く宣言してしまった。しかし、冷静になって考えてみると気づかなかったことが見えてきた。そのうち、自分の中で信じていたアプリの価値が揺らいできた。
chatGPT含め画像診断は手軽にできる。動画診断のアプリもあるが、点数評価でチャットができない。私がこれを作る動機となった体験(動画撮影 => 表情の切り抜き => チャットでカウンセリング)を提供するUXを持つこれ系のアプリは調べた限り無く、このUXがmonalinの根本的な価値と思っていた。
その価値が揺らぐに至ったのは、次のような理由からだ。
開発の動機となったclaudeとのチャットで私が得た気づきはざっくり言って「首をしっかり立てて、顔を上げて話す」ということだった。
去年私は持病の治療で、首の神経に麻酔を打つ治療を半年間続けていた。その治療が終わってすぐ、そのスピーチをする機会があった。おそらく、治療の影響で姿勢が崩れ、表情が出ていなかったのかもしれない。だからそんな当たり前に思えることが気づきになったのだろうと思う。
とすると、この問題解決の体験は極めて個人的なもので、その体験に至った「撮影->チャットの繰り返し」という能動的なカウンセリングを、多くの人が望むというのは拡大解釈ではないだろうか?
これはしばらく開発を続けた時点で薄々感じていたことでもある。しかし、内発的動機に従う方を迷いなく選んだ。それを信じて突き進んだ方がいいものができると思ったからだ。
ここから先の選択肢としては、アプリを改良するか、別のものを0から作り直すかだ。
改良できるに越したことはないが、現時点でとても迷っている。AIを使うので課金も必要だ。1人でもお金を払ってくれるユーザーがいたとして、思い込みではなく、本当に価値あるものにできるだろうか?
0から作り直す場合も、捨て鉢になって放り出すわけでは決してなく、学んだことを次に活かせるので悲観はしないと思うが、それはそれで勇気がいる決断だ。
とにかく今回のことは、webアプリ開発の奥深さや、自分の無意識のバイアスに気づいたことなども含め、大きな学びになった。
どちらを選ぶにせよ、この学びを活かして柔軟に考えて決断したい。
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